Football Connection 横断幕がつなぐもの 第一幕『モリシイズム』
『モリシイズム』
長居スタジアムを訪れたことのある者ならば、すぐにあの横断幕が目に浮かぶだろう。
ホームゴール裏、北側。トレードマークである飛行機ポーズの森島寛晃選手が描かれたピンク色の幕だ。2013年3月2日の開幕戦、柿谷曜一朗選手が初めて8番を背負って挑んだ試合で、ゴールを決めて向かったその先にも、背番号「8」の横断幕とともにこの『モリシイズム』の横断幕があった。
この『モリシイズム』という言葉にこめられた思いとは?
製作者である谷口隆浩さんにお話を聞いた。
“ピッチ上の姿から知る「森島寛晃」という選手が好きだった”
―谷口さんとセレッソの出会いは?
「Jリーグに昇格した年に長居第二陸上競技場へ磐田戦を観に行ったのが最初ですね。実家が長居なんです。地元に“Jリーグのチームができたぞ”ということで観に行きました。メイン席で観戦したのを覚えています」
―昔からサッカーが好きだったんですか?
「僕らの子どものころはプレーする環境がたくさんあったわけではないのでプレーしていたわけではないんですが、観るのは好きでした。Jリーグ開幕当初ってすごくブームだったでしょ?興味本位からの出会いですね」
―当時から森島選手のファンだったんですか?
「そういうわけではないです。特に誰のファンとかはなくて。ただ、昇格前の試合をテレビで観ていたときは、モウラ選手※のインパクトがすごく強かったですね」
※モウラ(1994年在籍。背番号9。ポジションはFW。JFLからJリーグへの昇格をかけたvsNEC山形戦ではハットトリックを決め、さらに昇格決定戦となったvs藤枝ブルックス戦でも決勝点となる見崎充洋選手へのアシストを決めた。在籍中はその風貌から「浪速のアルシンド」と呼ばれていた。)
―では森島選手のファンになったきっかけは?
「きっかけがあったわけではありません。ずっと彼のプレーを見ていて、そのひたむきさや一生懸命走っている姿を見て好きになっていきました。僕は選手と深く関わり合いをもつことが好きなタイプではないので試合を観ているだけでしたが、そのピッチ上の姿から知る“森島寛晃”という選手を好きになったんです。森島選手・西澤(明訓)選手のコンビが好きでした」
“ずっと長居スタジアムにいてほしい”
―『モリシイズム』の幕はいつ作られたんですか?
「森島選手が引退した2008年です。10月30日に引退発表があってから作り始めて、引退試合となった12月6日の最終戦に間に合わせて作りました」
―作ろうと思われたのは森島選手の引退が決まってから?
「現役の頃から“作らなきゃいけない”という思いはありました」
―“作らなきゃ”ですか?
「森島選手はセレッソそのものというか、“ずっと長居スタジアムにいなきゃいけない、いてほしい”存在だったんです。彼が選手時代に積み重ねてきたもの、貢献してきたことを考えたら、“森島”という幕は常に長居にあってほしいと思っていました」
―引退試合のときも、あの場所に貼られていましたよね。
「あの場所は、彼がJ1通算100ゴールに近づいていたときにカウントダウンをしていた場所なんです。ずっとあそこをキープして、1ゴール決めるごとに手書きの幕を作って貼り変えていました。でも2006年に降格してしまって。さらに、彼が原因不明の首痛で試合に出られなくなってしまいました。そのとき“今、サポーターとして何ができるだろう?”と考え、まずは“焦らずに出てきてくれよ、また一緒に戦おう”というメッセージを込めた幕を作って、あの場所に貼りました」
-そのときから森島選手の「定位置」だったんですね。
「そうですね。あの辺りは森島選手の幕が固まっていました。引退試合となる最終戦前のホームゲームでは一試合限定で『モリシイズム』の前提となる横断幕を作りました。“モリシイズム 心・技・体”という手書きの幕です。彼がいつもサインに記している大事な言葉を書いて、その幕と共に戦いました」
-思いが伝わります。
「そうですね。あの辺りは森島選手の幕が固まっていました。引退試合となる最終戦前のホームゲームでは一試合限定で『モリシイズム』の前提となる横断幕を作りました。“モリシイズム 心・技・体”という手書きの幕です。彼がいつもサインに記している大事な言葉を書いて、その幕と共に戦いました」
“作ったきっかけは僕。でも、できあがった幕はサポーターみんなのもの”
―『モリシイズム』の幕はおひとりで作成されたんですか?
「僕ひとりで作ったわけではありません。当時ゴール裏で応援していた森島選手が好きな人に声をかけて、お金を出しあって作りました。一人で作ろうと思えば作ることもできたのですが、みんなで作ることによって、その幕がよりみんなの幕になると思いました」
―何人くらいの方が賛同されたんですか?
「20人くらいだったかな。今みたいにTwitterみたいなツールがなかったので大変でしたが、最終戦になんとか間に合わせるために、直接声をかける以外にも、人脈を頼りに、電話をしたりメールしたりして声をかけさせてもらいました」
―デザインはどなたが考えられたんですか?
「当時、西澤選手の等身大のゲーフラ作ってゴール裏で応援していた方が、僕のリクエストを元にデザインを作ってくれました」
―どんなリクエストをされたんですか?
「森島選手の飛行機ポーズをいれてほしいということ、そして『モリシイズム』という言葉をいれてほしい、ということだけリクエストしました。何パターンか作ってくれたうちの一つがあのデザインだったんです」
―セレッソを、森島選手を愛する人たちの「繋がり」でできた幕だったんですね。
「横断幕ってそんな風にしてできるものじゃないですかね。あの幕、実はめちゃくちゃ重いんです。テントの生地でできているので頑丈で耐久性はあるんですが、そのぶん重い。貼るのもすごく大変なんです。でもそれも、セレッソが好きでセレッソを応援している人たちが集まって毎試合出してくれている。本当に感謝しています」
―横断幕がサポーター同士も繋げているんですね。
「『モリシイズム』の幕に限らず、作ったきっかけは僕であっても、できあがった幕はサポーターみんなのものだと僕は思っています。他の方が作った幕もそうです。セレッソを応援するという同じ思いをもって作られた幕ですから。だからこそ自分が作った幕でなくても多くのサポーターが集まって、貼ったり片付けたりしてくれているんだと思います」
『モリシイズム』が伝えるもの
―あの横断幕は森島選手の横断幕という次元を超えて、セレッソファミリーのスピリットになっているようにも感じます。谷口さんは『モリシイズム』という言葉にどんな思いをこめられたんですか?
「森島選手のプレースタイルや人となりを、“セレッソ”として続けていって欲しい、引継いでいってほしい、という思いですね。あの幕を見てどう思うか、それぞれ人によって違うと思いますが、僕の中では作った当時と今と、その思いは変わらないです」
―サポーターそれぞれがあの横断幕に思いを寄せています。
「今スタジアムに来ている人の中には、森島選手の現役時代を知らない人もたくさんいると思います。アンバサダーとしての彼しか知らない人たちにも現役時代の森島という選手を知ってほしい。幕をきっかけに知ってくれたら嬉しいです」
―森島選手の現役時代を知らない人たちに伝えたい『モリシイズム』とは何ですか?
「決して諦めない精神です」
―それはファン・サポーターだけではなく、選手にも?
「そうですね。森島選手と一緒に戦った選手も減ってきていますから。誰かが伝えていかなくてはいけないと思います。あの幕がその助けの一つになるのであれば嬉しいですね。
この先も、ずっとあの場所にあり続けて欲しい。そして歴史になっていけばいいと思います」
『モリシイズム』 という言葉に込められたセレッソへの思い。
2008年12月6日、森島選手の引退試合を告知するため準備された3種類のポスターのひとつにも『モリシイズム』が記されていた。
「勇気を持つこと。挫折を乗り越えること。0対9でもあきらめないこと。仲間を信じること。スタンドと心をひとつにすること。決して驕らないこと。相手サポーターに『モリシは特別』と言われること。キャプテンマークの意味を示すこと。日本中に喜びをあたえること。夢を叶えること。夢をあきらめること。それでも夢を抱くということ。走り続けること。クラブを愛すること。サポーターを愛すること。決して悔いを残さないこと。そして、2008年12月6日、最後の闘志を燃やす事。―ならば今、君がモリシにできる事はなんだ。」
横断幕がつなぐもの。
未来へと『モリシイズム』を繋ぐために、今、できる事はなんだ。
その答えを、2015年長居スタジアムの開幕戦で見たい。
※当時の回想も含むため、旧称の「長居スタジアム」で記載しています。
インタビュー 2014.12.03 Text by Yuri Nakanishi
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記事提供:
FOOTBALL CONNECTION〔フットボールコネクション〕